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Little fragments

マンガやイベントを中心に、雑文乱文書き散らかし。

表に出来ない感情

 病気の話って重いかなぁ・・・と思ったけれどたまに振り返りがてら書きたくなるから困る。

 現在に至る「適応障害」を発病してから10年が経った。はじめは忘れもしない中学3年のときのことだ。部室で掃除をしている最中、悲しくて悲しくて座り込んでしまった。過呼吸もおこしていた。同期には「ちょっとごめん調子悪いから座らせて」といったような記憶がある。

 このときから度々この症状がでるようになった。学校に行きたくない日も一人になりたい日もたくさんあった。それでも、日頃見られている自分でいようと努めた。しかし、本心では逃げてばかりいた。大学も高校の同期が来そうもないところを選び、 Twitter で過去の自分とは関係ない人たちと交流するようになった。

 こういう行動を心理学では「逃避」という。

 逃避は続き、他人との交流で何度も苦しんできた。なんで俺はこんなにダメなんだと責める日々が続いた。それでも人前で泣かなかったし、不平は9割方押さえ込んでいた。

 昔は泣き虫だった。転んでは泣き、親にケツをひっぱたかれては泣いた。それも小学生くらいまでで、とりあえず怒られないように行動すること(怒られる=トラウマとすること)で泣き虫を克服した。ゆえに「一生懸命で真面目で良い子」というシールを貼られた。今でも言われるけれど、本人は一度も自分に対してそんなことを思ったことがない。

 そんなことをしていたら、感情がどこにあるかわからなくなった。

 初めて「あれ?」と思ったのはアニメ「Kanon」10話の沢渡真琴のシーンだ。当時の友人とこのシーンの話をしていて「俺めっちゃ泣いた。おまえ泣かなかったの?」と言われたのだ。

 確かにあのシーンは悲しくはなるけれど、泣くほどの事ではないように思えた。それよりも泣いて良いのか、と思った。

 

 俺が泣くのは自分が情けなくて不甲斐ない時だ。何かミスをした、何か相手を傷つけることをした、社会的に悪いことをした etc・・・ こういうときは酷く泣く。布団にうずくまって暴れながら、自分を罵りながら泣く。当然人目につかない所で。だってそんなことで気を使われたくない。

 そんな風に自分を律していたら社会人1年目でぶっ壊れた。そのときの自分の心境としては「あー、心の爆弾が爆発しちゃったかー」程度のものだった。もちろん、実際は死んだ目で朝1時間ほど布団で自分のふがいなさを責めてながらのたうち周り、ようやく起きてから「艦これ」をして薬が効くのを待つという情けないモノであったが。

 

 あれから2年経った。療養、カウンセリング、転職・・・・・・「自分の望んでいること」をできるようになってきたように思う。逃避も減り、嫌なことには「嫌」と言えるようになってきた。 

toudo-kougen.hatenablog.com

 

 それでもたまに人が泣いているところを見たり、人が泣いたという話を聞いたり、感情を爆発させたことを聞いたりすると「遠距離恋愛で別れ際にさっさと帰り泣かない自分」や「感動する映画で泣かない自分」、「おかしいとおもったことにおかしいといえない自分」がいることに気がつき、落ち込む。勇気を出して2年も頑張って、色々な人が離れる結果になってしまいつつも、自分を取り戻して来たつもりだったのになぁ。 

 俺の病気を知っている人からは「寛解」したの?と聞かれる事がある。なにをもって寛解というのかは俺もよく分からない。でも、多分泣きたいときに泣き、きっちりモノを言いたいときに言う。それができたら寛解なのだと思う。そう思うとまだま寛解には遠い道のりではないだろうかと思う。

 そんなことを考えながら今日もこっそりお薬を飲んでは働いている。