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Little fragments

マンガやイベントを中心に、雑文乱文書き散らかし。

新海誠は娯楽映画監督になる宣言をしたことを知った(新海誠『君の名は。』感想その3)

アニメ感想 生活・思考 雑談

実は前の記事で感想を終わらせるつもりだったんだ。でも小説版を読んだことで解消された疑問も多かったことと、産経新聞社の新海監督へのインタビューを読んで3本目を書くことにした。

 

まずは小説版について。

映画の中で残ったもやもやがいくつか解消された。これは、描写が自分の中に落とし込めなかった部分についてなのだけど、自分のペースで小説を読むことで設定を相当落とし込むことができた。

つまり、描写でも細かいところと粗いところを併存されていたことで、自分の中でうまく処理できない部分が生じてしまったということだ。さらに言えば設定の描写に緩急がつきすぎてついていけなかったということなのだろう。
当初、新海監督は小説版を書かない予定だったというが、書いてくれてとてもよかったと思う。書いてなかったら私はもやもやを抱えてそれこそ新海映画の主人公のように「なにかを探している気がする……」となるところだったから。

でもそれって、映画で描き切れてないということなのではないだろうか。これは作者の意図なのか、それとも力量不足なのか。そう思っていた時に見つけたのが産経新聞社のインタビューだった。

 

www.sankei.com

オープニングシーンはサービスのつもりです。たぶん、この作品は音楽も物語のテンポも過剰な作品。(人気バンドの)RADWIMPSのようなロックをテーマ曲に採用したこともシネフィル(映画通)には不評かもしれない。でも、そういった層に背を向けられても、新しさや過剰さ、疾走感を「良い」と思ってくれる大きな層を狙いたかった。そういう意味では、僕の決意表明のようなものです。

【君の名は。動画付き】新海誠監督が大ヒットアニメの舞台裏を語った…「1分たりとも退屈させない作品を」(1/5ページ) - 産経ニュース

 

つまり、意図的なものだったと。ここがはっきりしたならいいです。でも、もうちょっと興業宣伝の時にこういう面を押してくれたら俺は見なかったと思うので、押しておいてほしかった。見て悲しくなるより、見ないほうが良かった。

 

『シンプルなエンターテインメントが作りたかったんです。僕のテーマは、思春期の人やその頃の気持ちを引きずっている人たちのコミュニケーションの問題。そこは動かせないけれど、文句なく楽しいものを目指しました。

【君の名は。動画付き】新海誠監督が大ヒットアニメの舞台裏を語った…「1分たりとも退屈させない作品を」(1/5ページ) - 産経ニュース

 

今回、すぐもやもやぐずぐずしてしまい、「現実的でない」と思った部分の粗が目についてしまった((最大の原因はここなのだろうと思った。

今までの作品ではこの思春期の儚さを天門さんの音楽と組み合わせることで、表現できていた。映像と音楽の両輪で鑑賞者をたやすく幻想的世界に導き、心に響かせてきたのだと思う。新海誠の映像美というのは音楽にあればこそといってもいい。

しかし、今回は音楽の力が足りない。弱い。RADWIMPSでも人によって曲に大きく差が出てしまっていることもある。武田さんはやはり今まで経てきた音楽経験が少しクラシック寄りなので、作曲が作品にマッチしているように思う。ただ、基本的には野田さんの作曲のため、なんだかちょっと作品とのマッチが弱い。

今までの自分の経験として新海作品は音楽が補助となって映像、そしてそれが描き出す世界観に没頭できていたというものが頭にあった。だから今回は「あれ?なんか違う」と思ったのだった。考えてみれば経験から期待しすぎていたのである。しかし、自分のような層は今作では新海誠が狙う層の埒外だった。そりゃ響かない。

 

そして新海誠はインタビューの最後にこういう。

自分としては、この先、もう1本か2本はサービスに徹した作品を作りたい。映画の世界で、自分の居場所や役割、もっというと日本社会の中で、自分の公共的役割を見付けていかないといけない年齢になった気がするんです。

【君の名は。動画付き】新海誠監督が大ヒットアニメの舞台裏を語った…「1分たりとも退屈させない作品を」(1/5ページ) - 産経ニュース

 

これを読んだ俺は悲しくなってしまった。

まるで新海誠が「ガルパン」をやると言っているように聞こえる。もっと言えばサービスだけのエンターテインメント、すなわち「サメ映画」を作るって言っているもんじゃないかとすら思った。

そして、今までのような作品を作る余裕が(精神的になのか、金銭的になのか)なくなって、サービスに徹しますと言っているような気がしてならない。そして、このような状況で彼は今までと同じようなメッセージを映画にのせることは困難だと感じた。

そもそも公共的役割という言葉に引っかかりを覚える。そんなものなきゃいけないのか?そうでないと彼の存在は許されなくなってきたということなのか?映画ってそんなものなのか???

 

公共的役割を見つけるためにサービスに徹しますというのは実に貧困な発言だと思う。この貧困に彼を追い詰めたのは誰なんだ。なぜなんだ。悲しい想いと共に怒りすらこみあげてくる。

なによりも、新海誠はなんのために映画作っているのかよくわからなくなってしまった。映画しかできないから頑張りますって言っているようにすら聞こえるのだった。

 

でも、きっと今まで「背景屋」「美術屋」「脚本はちょっと」と言われてきたからこそこういう発言がでてきてしまうのだと思う。彼の映像じゃない部分についてもっと評価できていたら、新海誠はこのような「宣言」をする必要はなかったんじゃないだろうか。そう思えてならない。

しかし皮肉なことに、新海誠の映像以外の魅力は「君の名は。」をみたからこそ逆説的にわかったものであった。ゆえに自分も「背景屋」「美術屋」と思っていた以上、この考えの変化についてはなにも言えない。

 

こうして、俺はこのインタビューを読んで「君の名は。」に覚えていたもやもやをすっきり解消したのだった。同時に、また一人、繊細に世界を描くことを辞めて「娯楽映画」的過剰表現の世界にいってしまったのか、とちょっと寂しくもなったのだった。

 

 

 

そんなわけで、むなしい1人語りはここまで。

次回からまた同人誌レビューや漫画レビューもしくは「Planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜」といったオタクコンテンツをオタク語りすることに回帰しようと思う。