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Little fragments

マンガやイベントを中心に、雑文乱文書き散らかし。

表現と配慮

雑談

 年に何回か映画を見る。特に今年は映画館へよくいった。

 ガルパンを3回も見たのち、しばらく間が空いて「KING OF PRISM by PrettyRhythm」というジャンキーなものを見て、岩井俊二の「リップヴァンウィンクルの恋人」でしみじみとし、しばらくたって「君の名は。」でモヤモヤしながら「planetarian ~ほしのひと~」を2度見に行って2回とも号泣した。

 

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出典:配信・劇場アニメ「planetarian(プラネタリアン)」公式サイトより

 さて、「君の名は。」のヒットもひと段落したところで話題となっているのが「この世界の片隅に」だ。クラウドファンディングでお金を集めていたころは結構興味があって、出資も検討したけれど結局しなかったことを上映予告で思い出している。
 じゃあせめて興行収入に貢献しようと見に行くかと思っていたのだが、なぜか行く気が起きない。

 どうもこれは絶賛されているせいなのではないかと昨日友人2名と飲んで話して気がついた。

 今年評判になった「君の名は。」にしても「シン・ゴジラ」にしても評判があまり割れず、ネットには称賛ばかりが目についた。どうもその点が引っかかって見に行く気がしないのだった。


 表現という行為は、優れているほど賛否両論巻き起こるものだ。人の心を揺さぶるというのはそれだけハードで難しいことだし、そう思うと表現者へは敬意を表さずにはいられない。
 一方で「君の名は。」にしても「シン・ゴジラ」にしても「この世界の片隅に」にしても聞こえてくるのは当たり障りのないように添えられた褒め言葉だ。素晴らしい、誰もが見る映画だ、と。
 そこには内実が伴っていない。ネタバレを避けたいという気持ちもあるのだろうが、ネタバレ以上に言葉として出てきていない気がしている。

 レビューには表現、メッセージ、内容に心をいかに揺さぶられたかが書き連ねられる。クソ映画レビューならば、いかにクソだったかを伝えるためにさまざまな表現手法を用いられる。

 しかし、今年話題となった作品は「他人に見てほしい」あるいは「他人に見ないでほしい」あるいは「クソ映画として楽しんでくれ」といったレビューをあまり見かけなかった。最近になって「君の名は。」に関しては厳しい意見も出つつあるけれども、それでも他者を想定したレビューはあまりなかった。シン・ゴジラ園子温監督が批判ツイートをしたら「こいつwwwww嫉妬してるwwwwww」みたいな悪意のあるとらえ方をされていた。

 今年の流行りの映画は肯定も否定も言語化されていない。そこに虚しさを覚えた。

 様々な意見があって解釈があって議論するからこそ表現は深化し、面白くなる。それは何も作り手だけではなく、見る側においてもそうだ。しかし、いまは議論をするための材料もない。まるで見えない爆弾を怖がって触らないようにしているかのような空気が蔓延している。俺にはそう見える。
 「配慮」の下に構成される言語空間は見た目には気持ちいものであるが、中身としては気持ちのいいものではない。「この世界の片隅に」の戦時世界よりもよっぽど恐怖に支配されているような気すらしてくる。とても怖い。

 でも、ヒット映画なんてそんなものかもしれない。
 だとすれば、ヒット映画よりも賛否両論ある映画を見たり、ひたすら号泣する映画でなぜ号泣するかを語る、もっと力強い言葉でレビューする。そういったことを意識していくことが「健康」な営みなのかもしれない。そう思った。

 ところで、友人から「ハイ&ロー」の新文芸坐一気見を倍プッシュされている。ジャンキーだが、面白そうなので、興味のある方はぜひ。